東京下町散策 (2005年)
平成17年12月11日(日)午後1時半集合、曇
岩崎弥太郎といえば三菱財閥の創始者だが、彼とその子孫は近代日本の文化遺産の形成に貢献している。代表例が都内江東区に現存する「清澄庭園」である。今回の散策はこの庭園が振り出しである。
この庭園は、明治初期、財界の大立者にのし上がった弥太郎がかねて抱く夢を実現した回遊式林泉庭園だが、一般的には立地条件と水運の便を利し、日本各地から集めた名石が多いことで知られている。傘下に海運事業を持つ弥太郎にして出来ることであった。何の変哲もないように見える石も、幾つか組み合わせて石組みとして配置されると、作庭者の意図を表現するようになり、そのような眼で見ると、なかなか興味深いものである。石組は造園技術の一つの基本であり、この庭園は愛好者にとって恰好の学習場所を提供してくれている。
「清澄庭園」から両国方面にかけての一帯には多くの歴史的スポットが存在している。小名木川を越えて、通りからほんの少し入った路傍に、人知れず「芭蕉稲荷」がある。奥の細道に出かけるまでの住居跡と言われている。近くには立派な「松尾芭蕉記念館」もある。
両国駅付近には葛飾北斎に因む「北斎通り」があり、その先を曲がると、「江川太郎左衛門の住居跡記念碑」に突き当たる。記念碑には何の記述もないが、ジョン万次郎が一時江川邸に寄遇していたと伝えられる。現在、この地帯は、大小のビルや倉庫で一杯で、人気も少ない、潤いに欠ける場所のように見えるが、往時は多くの市民が好んで住む、四季折々生活を楽しむことの出来る都市の下町であったに違いない。
予定していた両国国技館内の「相撲博物館」は、他のイベントのため見学出来なかったが、両国駅西口から近い「回向院」や「吉良上野介の屋敷跡」などを覗き、午後4時半には忘年会会場の「ちゃんこ大内」に辿り着く。年の瀬の市の賑わいを背に、一同鍋を囲んで乾杯。参加者15名。(篠崎史朗記)